長かった連休、みなさんいかがでしたか?
また気を引き締めていきましょう。
さて、春のスケッチをお届けしましょう。
長かった今年の冬、しかし、時の移ろいは確かに春を運んできた。
そんな春を喜び、通勤途上で見つけたつくしを手折り、活けてみる。
水仙、椿とあしらうが、何かなじまない。
水仙や「うらしま椿」があでやか過ぎて、つくしの存在が消されてしまっている。
ふと、思いついて、学校の裏庭の芽吹いたばかりの紫陽花の一枝と取り合わせてみた。
グッド、グッド!!

東北に生まれ育った私は、春が来るのが大好きだった。
母もおそらく同じ思いだったのだろう。陽光が柔らかくなると、私たち姉妹にお弁当を作って野原に誘い、様々な春の花や景色を楽しむのが恒例だった。
そんなときの母の口癖が「つくしはスギナのお花なのよ。」
ひょうきんだが、全く花という感じのしないつくしに、ただ「そうなんだ。」と聞き流していた私たち。
つくしの生命力はすごい。野原や土手はいうまでもなく、道路と塀のほんの数ミリにある土の部分にも、自分たちの子孫を増やしていく。
水仙やうらしま椿」など、人の手によって改良され、守られてきた園芸種の華やかさとは比較にならないほど地味なその花が、一本一本すっくと立つ様には、誰にも媚びることのない潔さがある。厳しい自然を受け入れ、大切な命を引き継ごうとする真摯さがある。
つくしが水仙やうらしま椿と競い合い、「私は水仙やうらしま椿と同じ。」と主張し、他の花になろうとして、かなわぬことに大切な命を費やすのは愚かなことだと思う。
つくしはむしろ、自らの力でたくましくその人生を生き抜いてきたことを誇るべきだ。
この選択がおそらく、人の生き方を定める重要な分岐点となる。
母の「つくしはスギナのお花なのよ。」という口癖は「人間が分相応に生きることの大切さ」を教えてくれたのではないか

介護福祉学科専任
小野田 梢
posted by nifis blog at 10:31|
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日記